偉くなったのか閑職に追いやられたのか、最近は自分で執筆するよりも、企画や編集に回ることのほうが多くなりました。

必然的に他のライターが書いた文章をチェックする機会が増えたのですが、経験の浅い人や、物書きが本業ではない専門職の人(たとえば士業など)の文章って、すごく気になるんです。

日本語の甘さが。

主語と術後のねじれ、やたらに長い一文、必要性の低い接続詞、表記ゆれ等々。

こうした指摘はブーメランになる恐れがあるのであまり言わないことにしているのですが(笑)、あまりにも酷い!という人には、当サイトのテーマでもある”知識の共有”を胸に、丁寧に校正したうえ、参考になりそうな書籍を紹介するなど、僕なりに努力しているつもりです。

書籍はいろいろありますが、『悪文』は呼んでおいたほうがいいかもですね。初版はなんと昭和35年(1960年)。それゆえに例文が古びているけど内容は普遍的なものだと思います。

ただ、日本語が雑だからといって、それが使えない文章なのかというと、そうとは限りません。なかには、あるんですよね。未熟ながらも執念めいた文章というのが。

正しくはないけど伝わってくる文章

校正がバンバン入る(=プロのライターとしては未熟な)文章だけれど、原文ママのほうがパワーを秘めているケースというのは、いくらでもあると思います。

たとえば、次の文章をご覧ください。先日知り合った、とっしゅのEpicuritiqueというブログを運営されているフリー校正者さんの記事から引用します。

お願い

門扉は通常閉じています

出られた後は門扉を閉じてください

どうでしょう、違和感ありますか?

先に答えを言うと、これは「門扉は通常閉じています」を”トルツメ”でいいですよね。

「お願い 出られた後は門扉を閉じてください」

だけで十分伝わりますし、そのほうがスマートなのに、「門扉は通常閉じています」という余計な一文があることによって、書き手のイライラ度がいい感じに溢れ出ていると思いませんか。

ブログ主のとっしゅさんの解釈を引用しましょう。

この場合の書き手は、門を閉めろという結論を言うだけでは不満なのだ。「我々は普段から門をきちんと閉じているのだ。だからお前も、そういったマナーに従って、正しい行動をとるべきである」‥‥そのように道徳的な立場を主張したくて仕方がないのである。

おっしゃるとおり、校正的に見ると前の一文はまったく不要です。しかし、「お願い」として、見た人に要求が伝わる書き方はどちらかというと、原文ママではないかと思うんですよね。

この書き手は素で書いたのでしょうが、僕はそうした余剰性をわざと含ませることがあります。一行に万感の想いを込める。ほら、ここを読み取ってよ、感じとってよと仕掛ける。ライターたるもの、そうしたテクニックも持っておいたほうが良いでしょう。

下手に整理整頓するくらいなら、ありのままをぶつける

テクニックと言いましたが、はじめのうちは特に意識しなくてもいいと思います。あなたが抱えているものを素直に吐き出せばいいんです。そうすることで魂がこもり、読む人を魅了する

理路整然と要点がまとめれた1,200文字の”可もなく不可もなく”な文章よりも、感情にまかせて殴り書きした4,000文字以上の文章のほうがはるかに面白いことが多いです。

よく言う指標なのですが、読み手に、

「なんでこの人(書き手)はこんなに必死なんだろう」

と思わせたら成功です。

後は、文法がめちゃくちゃだとさすがにマズイので、そこをちょこっと整頓するだけ。

その”ちょこっと”が難しいと思うかもしれませんが、そんな能力は、書き続けていけば自然と身につくものです。

もう一度言いますが、荒削りでもいいので、とにかく魂を込めて書きましょう。言いたいことがハッキリしている芯のある文章になっていれば、多少、日本語がマズくても問題ありません。編集者や校正者に修成してもらえばいいだけの話ですから。

もちろん、日本語がキレイで、なおかつ熱い文章が一番なのですが、最初からは難しいかもしれないので、だったら勢いを取りましょうという話です。

おわりに

自分の想いが伝わり、読んだ人が、面白かった、ためになった、明日誰かに話したい、など、「得した」という気持ちなってもらえたら、こんなに嬉しいことはありません。

テクニカルなことはすっ飛ばして、一行一行に万感の想いを込める、くらいの気持ちで書いてください。

以上、なんだか終始上から目線で恐縮ですが、かくいう僕は修行時代、校正者から「koukaさんの文章だと、読んだらすぐ分かる」「ちょっとしつこいけど上手いと思うよ」等と評されていたので、ここでで自慢するくらい勘弁してください。

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