大学や専門学校の広告をメインに仕事していたとき、取材でちょっと困ったのが、「私の目線に降りて話してくれない」教授や専門家でした。失礼にならないよう、ある程度は勉強してから取材に臨むのですが、やっぱり付いていけないことは多々あるわけで。
その場で質問することもあれば、何が分からないのかを分からないこともあり(笑)、よく理解していないまま取材を終えたときなどは会社に戻って録音テープ(当時)を擦り切れるまで聞いたものです。
なんとかして自分のなかに知識として取り込んだところでやっとスタートライン。内容を理解したうえで、取材対象者が何を言いたかったのか、クライアントが強調して欲しいのはどの点だったのかを、直訳ではなく、読み手に分かりやすいように落としこみます。この作業は翻訳に使いイメージですね。
ポイントは、対象とする読者層よりも少しレベルを落として書くこと。
「レベルを落とす」と言うと上から目線に聞こえますが、できるだけたくさんの人に理解してもらうことが目的ですから、ライターにとっては非常に大切な作業です。当時担当していた媒体のターゲットは主に高校3年生だったので、私は高校1年生、または中学3年生くらいの層を意識して書いていました。
頭のいい高校生は、私の記事を見て「そんなこと知ってるよ!」なんて思ったかもしれません。しかしそれ以上に「へえ、そうなんだ!」と思ってくれた子たちも多いはず(そう願いたい)。コピーライターとしてどちらが成功かといえば、当然後者の層をつかんだときです。だって、分かりにくくて困ることはあっても、分かりやすくて困ることはありませんかから。
少しレベルを落として書くという作業は、ライターにとってもメリットが2つあります。
1つは、物事を論理的に順序立てて説明する能力が身につくこと。噛み砕くというのは案外難しい作業なんです。経済用語などを例に挙げるとよく分かると思うのですが、きちんと理解しているつもりでも、それを知識ゼロの第三者に理解させるのは骨が折れるものです。私に言わせれば、第三者に噛み砕いて説明できない事柄は、自分のなかでも理解できていないことが多いです。
もう1つは、レベルを落としたほうが書き手も楽である場合が多いこと。読者ターゲットが専門家、たとえば医師や弁護士などに向けた記事でも、背伸びせず一般人に向けるような気持ちで書くほうが気楽だろうという話です。
というより、そもそもライターが書く文章というのは、書き手の教養レベルによって難易度が変動するようではダメだというのが持論です。小難しい表現や難解な漢字を不必要に使って文章を構成したがる人は、小説家の先生方や学者さんを除けば、ほとんどの人が「気取っている」だけ。「大作家の真似をしている」人もなかにはいますね。「僕・私って知的な文章を書くでしょう」と褒めてもらいたい心がどこかにあると疑って間違いないです。経験的には、自分を大きく見せようと頑張っている最中の駆け出しライターに多いイメージ。
冒頭で少し述べましたが、コピーライターとは翻訳家に近い仕事です。自己主張するなとは言いませんが、あくまで黒子としての職務を全うしましょう。