プロのライターには簡潔で明瞭な文書が求められますが、気を抜くとやってしまいがちな冗長表現があります。そのうちの一つが、この「〜することができる」。
文法的に間違ってはいないものの、多くのケースで可能の「れる・られる」に置き換えることができます(←と、早速やらかしてみました)。
可能動詞「れる・られる」の言い換え例
- 今の私なら彼に勝つことができる→勝てる
- ここからなら10分もあれば行くことができる→行ける
- 文章の他、漫画原作もすることができる→できる
上記のように言い換えるとスッキリしますね。そもそも「〜することができる」は、英語の「be able to」や「can do」から生まれた訳だと耳にしたことがあります。歴史言語学として正しいかどうかは知りませんが。
では、すべての「〜することができる」は悪なのかというと、そうとは限りません。生まれは英語の訳からきているとしても、すでに日本語として定着している表現であり、きちんと役割を持っていると考えます。
「〜することができる」が適している例
強調したいとき
可能を強調したいとき、「〜することができる」のほうが力がこもっている印象を受けないでしょうか。例えば、
- 今の私なら彼に勝てる
- 今の私なら彼に勝つことができる
2つとも「彼に勝てる」と言っていますが、後者のほうが「勝つこと」という動作の対象に思い入れを感じます。彼を倒すために行った「私の努力」まで浮かび上がってくるイメージです。
受け身など他の意味合いと混同する恐れがあるとき
れる・られるには、可能のほか「受け身・尊敬・自発」を意味する機能があるため、言い換えたときの自字面が同じ動詞の場合は「〜することができる」が適しているかもしれません。
- 食べられる→食べることができる
- 見られる→見ることができる
とはいえ、正しい文章なら主語が明確になっているでしょうから、ケース・バイ・ケースと言えます。個人的にはどちらでも構わないというルールで執筆しています。
もちろんレギュレーション次第
編集者さんや校正者さんが、”「〜することができる」は冗長表現である”と定めている場合、ライターが独自の文章論を展開しても仕方ありませんから、素直に従いましょう。
あくまで、自分がライター兼ディレクターとなって文章を書く際のこだわりとして、頭の隅に置いておくとよいと思います。