「〜することができる」を機械的に冗長表現と捉えるのはよくない

公開日:2020/10/02 更新日:2020/10/06

プロのライターには簡潔で明瞭な文書が求められますが、気を抜くとやってしまいがちな冗長表現があります。そのうちの一つが、この「〜することができる」。

文法的に間違ってはいないものの、多くのケースで可能の「れる・られる」に置き換えることができます(←と、早速やらかしてみました)。



可能動詞「れる・られる」の言い換え例

  • 今の私なら彼に勝つことができる→勝てる
  • ここからなら10分もあれば行くことができる→行ける
  • 文章の他、漫画原作もすることができる→できる

上記のように言い換えるとスッキリしますね。そもそも「〜することができる」は、英語の「be able to」や「can do」から生まれた訳だと耳にしたことがあります。歴史言語学として正しいかどうかは知りませんが。

では、すべての「〜することができる」は悪なのかというと、そうとは限りません。生まれは英語の訳からきているとしても、すでに日本語として定着している表現であり、きちんと役割を持っていると考えます。

「〜することができる」が適している例

強調したいとき

可能を強調したいとき、「〜することができる」のほうが力がこもっている印象を受けないでしょうか。例えば、

  • 今の私なら彼に勝てる
  • 今の私なら彼に勝つことができる

2つとも「彼に勝てる」と言っていますが、後者のほうが「勝つこと」という動作の対象に思い入れを感じます。彼を倒すために行った「私の努力」まで浮かび上がってくるイメージです。

受け身など他の意味合いと混同する恐れがあるとき

れる・られるには、可能のほか「受け身・尊敬・自発」を意味する機能があるため、言い換えたときの自字面が同じ動詞の場合は「〜することができる」が適しているかもしれません。

  • 食べられる→食べることができる
  • 見られる→見ることができる

とはいえ、正しい文章なら主語が明確になっているでしょうから、ケース・バイ・ケースと言えます。個人的にはどちらでも構わないというルールで執筆しています。

もちろんレギュレーション次第

編集者さんや校正者さんが、”「〜することができる」は冗長表現である”と定めている場合、ライターが独自の文章論を展開しても仕方ありませんから、素直に従いましょう。

あくまで、自分がライター兼ディレクターとなって文章を書く際のこだわりとして、頭の隅に置いておくとよいと思います。

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コウカ(kouka)
カメライター、フォトライター、漫画原作者。写真と落書き漫画を交えて文章を書くのが好き。詳細プロフィールはこちら、仕事の実績確認・ご依頼はこちらからどうぞ。

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