春が近づき暖かくなってきましたが、寒さが苦手な僕は現時点で夏を待ち焦がれています。
夏が好きな理由はいくつかありますが、たとえばセミの声。私はセミの声が大好きです。聴覚で季節を実感するのにこれほど有効な手立てはありません。
夏のゴングと言ってもよいでしょう。セミの声なしに日本の夏は始まらない。とはいえ、我が家の電柱に止まって朝っぱらから全力で鳴かれたら、無言で引っ剥がすかもしれません。
さて、セミといえば、いつも思い出すのが歌手のローリー寺西さんの話。もう20年以上も前だと思うのですが、『クラブ紳助』という深夜番組でこんな話をされていました。
以下、うろ覚えでほとんど創作ですが、会話口調で記します。
「セミってね、自分がまさか空を飛ぶ生き物だなんて思ってないと思うんですよ」
「7年くらい土の中で過ごすわけですから、もう自分はそういう生き物だと思い込んでる」
「でもある日、突然息苦しくなるわけです」
「家族にも、“もうワシは死ぬ。あとのことは頼んだぞ”とか言って、息苦しいから地上に這い上がってみる」
「で、地上でさなぎになって死んだと思ったら」
「羽を持って生まれ変わって、そこで初めて気づくんです」
「“俺ってこんな生き物やったんや”って」
「僕はね、もしかしたら人間もそういう生き物じゃないかって思うんですよ」
言葉面だけを抽出するとなんだか宗教っぽくて、肉体の死や魂の存在うんたらかんたらと言いたいのかなこの人は、と思いましたが、つまりは、
現実にとらわれ過ぎてはいけないよ
未来は誰にも分からないんだ
頭を柔らかく、目を高く生きようよ
ということなんですね。
当時小学生だった私は、これを聞いて鳥肌が立ちました。たかだかセミを見て、なんでこの人はこんなことを考えたんだろうと(※)。
でも、これを発想と呼ぶんだなと思いました。
発想次第で世界はこんなにも違う。
発想することで選択肢が拡がる。
豊かな人ほど選択肢をいくつも持っている。
さらに、同番組内で氏は、オモチャの銃を無邪気に取ってこんな発言をします。
「これを作るには石油が必要ですよね」
「皆にはだたのオモチャなのかもしれないけど」
「僕には数億年前からの贈り物なんです」
ステキではありませんか。氏の発想力は、少年時代の私に少なからず影響を与えてくれました。その後、成長の方向を間違えたのか「へんくつ」と呼ばれることも多くなりましたが……。
以上、セミの声を聞くたびにローリー寺西さんを思い出す私でした。
※幼少時代、氏はひどくイジメられていたそうです。氏の発想の転換力は、自らを護るために身につけた悲しい力だったのかもしれません。