各種の映画賞を受賞したが、そんなことより監督で主演のヤン・イクチュンの雰囲気が好きという理由で評価が高い作品。ストーリーに複雑さはなく、感じたまま鑑賞できる映画である。伏線は分かりやすすぎるため、勘のいい人は結末の一部が予想できただろう。
原題は『똥파리』で日本語訳は”クソバエ”。直訳のほうがインパクトがあるのに、なぜ『Breathless(息もできない)』なんて小綺麗なタイトルになったのか。世界に韓国人の口の悪さを知られるのを恐れたからか?(笑)
最初にして最大の疑問はヨニの好み
ヒロイン・ハン・ヨニの家庭環境には同情する。屋台を営んでいた母親は債権回収業者のチンピラに刺されて死亡し、軍人の父親はベトナム戦争により精神病患者になって帰って来た。手を取って助け合うはずの弟は、父の障害手当金をせびって毎日プラプラしている始末。
父も弟も非常に暴力的な性格で、何の役にも立たないくせに大黒柱のヨニを口汚く罵る。手を上げるシーンこそないが、ヨニが(応戦はしながらも)最終的にはおとなしく従うところを見ると、ぶたれたことは一度や二度ではないかもしれない。事実、父が包丁を持ち出しヨニを脅すシーンはある。
こんな家庭環境で生きているヨニが、なぜ暴力が服を着て歩いているようなサンフンに惹かれるのか?
初対面で強烈な右フックをかまされて気絶までしているのだ。見た目も中身もアウトレイジな、完全に「あっちの人」間違いなしの男なのである。
クズ男の取り扱いを心得ているヨニが、サンフンに対して生意気すぎる口をきくのも理解できない。怒らせると面倒くさいだけだろう。特にサンフンの場合、逆上すると埋めてやるとか言いかねない。
ともかく、ヨニからすると、軽蔑はしても親密になるタイプでは絶対にないはずだ。なのに、なぜ。女心が分からなさすぎる。百歩譲って、「サンフンの内にある孤独を見抜きシンパシーを感じた」と解釈できなくもないが。
マンシクって別にいい奴じゃなくないか?
サンフンの良き理解者であり、物語のラストでは足を洗って焼肉屋をオープンさせるマンシクだが、彼も立派なアウトレイジである。部下を可愛がったり、気前よく寸志を与えたりと根本からの悪人ではないようだが、ヨニの母はコイツに殺されたようなものだ。
サンフンの父親への援助にだって違和感がある。サンフン親子を思っての行動に嘘はないだろうが、本心は孤児である自分を満足させるために行っているのだ。早い話がありがた迷惑なのである。サンフンが不機嫌になるのも無理はない。そうしたイライラが、サンフンの暴力的な行動につながっているのだとしたら……。
暴力はブーメラン
『愛はブーメラン』は、名作『うる星やつら2』のエンディングテーマだが、この物語では愛ではない、暴力だ。
「暴力を振るうゴミ野郎は、いつか似たようなゴミ野郎に暴力を振るわれるんだよ!」
うろ覚えだが、これはサンフンが取り立て先で放った言葉だ。終盤、これが歴史上ないほどキレイなブーメランとなって返ってくる。
実は、サンフンが反撃をくらうシーンは2つしかない。ヨニの弟ヨンジェに殴り殺される終盤のシーンと、彼女に手を上げていたチンピラにやり返される冒頭のシーンだ。どちらも油断しているところを背後からやられている。
何が言いたいのかというと、暴力に生きる人間は油断をするな、ということだ。暴力を振るわれた側は必ず負の感情を持ち、蓄積させる。それが消えることはないと断言していい。
いつの日か、ヨンジェもこの理に気がつくだろう。いや、彼はすでに理解しているかもしれない。理解した上で破滅の道に突き進んでいるのだろう。悪党としてはサンフンほどの器もないため、近い将来あっさりと敗北してその辺に埋められるのがオチだ。そんなときでも、ヨンジェと仲がいい実力派のファンギュは生き残りそうな気がするけど。
犯人はヨンジェだと判明したらヨニはどうするのか?
弟が「18!!」と叫び暴れる場面に出くわして、ヨニはあの日の記憶がよみがえる。愛する母を奪った「クソバエ」は、自分が愛したサンフンだった。
しかしその「クソバエ」を成敗したのは弟のヨンジェ。そんなヨンジェも立派な「クソバエ」になってしまった。
クソ男共が生み出すクソ連鎖の渦に巻き込まれているヨニだが、彼女ならきっと負けずに生きていくだろう。今度こそ、サンフンやヨンジェのようなアウトローから距離を取って生きてくれるはずだ。願わくば、サンフンにツバを引っ掛けられたときに「下を向いてやり過ごした世界線」に転生してほしい。