時代劇でよく目にする、武士による切捨御免(斬捨御免)。
無礼を働いた町人を文字通り切って捨ててしまうのですが、先日お話を伺った近世史専門家のT教授によると、切捨御免は捏造されている部分がかなり多いというのです。
疑問:じゃあ生意気な町人がいたらどうするの?
これ、実は耳にしたことがありました。実際は腹が立ったからといって町人相手に刀を抜く武士は少なかった、ましてや斬りつけるなんて後で切腹になりかねなかったと。なぜ切捨御免ができなかったのでしょう? T教授は、わかりやすい事例を挙げて説明してくださいました(一部教授による創作がたぶん入っています)。
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江戸後期。福山藩で起こった大一揆を鎮圧するため、ある弓馬無双の達人が向かわされました。
しかしこの達人、一揆を鎮めるどころかほとんど何もせず、半ベソをかいて逃げ帰って来たではありませんか。
情けない奴。上役人は状況が飲み込めず「一体、何があったのだ?」と理由を問いただします。
すると達人、
「いやだって、民衆が石とか投げてくるもんすから……」
上役「え?」
さらに達人は拗ねたような声でこう付け加えます。
「切捨御免…しちゃっていいすか?」
「ダメなら自分もう行かないっす」
上役「……………………」
困り果てた上役は、さらに上の役人たちに相談して慎重に会議を重ねます。
そして出た結果は次のとおり。
切捨のこと努々叶うべからず。
そう、絶対にタブーだったわけですね。
要するに、兵農分離だ、刀狩だ等とエラそうに叫んでも、農業は百姓に頼るしかないんです。大切な年貢を納めてくれるお百姓様を殺傷するなんて、トチ狂った行動を容認するわけにはいかない、これが当時の武士の一般論だったそうです。
確かにそうですよね、言われてみればものすごく納得できます。
芹沢鴨の無礼討ちは?
しかし、ということは、相手が武士以外でもすぐに刀を抜いた(らしい)芹沢鴨って、完全にトチ狂っていたということになります。
幕府の力が弱まっていたことを差し引いても、武士たちの一般論をどんなふうに解釈していたんだろう。
そんな無茶をやらかす男が筆頭局長にいるのですから、新選組が恐れられるのがよくわかります。現代も喧嘩でもそうですが、強い奴と戦うより、何するかわからない奴と戦う方が怖いですからね。
芹沢鴨は、強いうえになにするかわからないとんでもないお人だったようです。