この映画を観に行った動機をタイトルで語ってみた。僕がご贔屓にしているオリンパスのカメラを、『日本ボロ宿紀行』でファンになった深川麻衣が使っている!!
本当にそれだけの理由だったので、E-M1Xを構える深川麻衣を見られただけで満足した。80点!!
-20点は、結子(深川麻衣)の性格に難がありすぎるための減点です。
東京でメイクアップアーティストを志す音更結子(深川麻衣)は、メイクの仕事をしながら美容部員として働いていたが、嘘が嫌いで頑固な性格が災いし、仕事をクビになってしまう。そんな結子に追い打ちをかけるように、大切な祖母が亡くなったと知らせが――。 幼いころ、自分を捨てた母の代わりに自分を育ててくれた祖母を、ひとり寂しく死なせてしまった後悔に苛まれる結子。夢も大切な人も失った結子は、故郷へ戻ることを決め…
なぜ結子はE-M1Xを選んだのか?
この映画はオリンパスが協賛となり、作中ではE-M1XやPEN-Fが登場する。ラストシーンでは、結子の幼馴染である一郎(高良健吾)もオリンパスのカメラを手にしている(E-M10 mark iiiかな?)。
結子はフォトグラファーとして活動するために、中古のE-M1XとPEN-Fを購入する。本格的な撮影ではE-M1X+12-40mm F2.8 PRO、普段遣いはPEN-F+単焦点(特定できませんでしたw)と使い分けている様子。
ここで、ちょっと妄想してみた。なぜオリンパスが結子の目に留まったのか?
結子は元写真部で、賞を貰うほどの腕という設定。そんな人が「女子カメラ〜♪」みたいな理由でオリンパスは選ばないだろう。しかもE-M1X。全然かわいくない。
(1)値段が手頃
結子は失職中でお金がないため、ボディもレンズも手頃な価格を求めていたはず。仮にもプロとして働くならフルサイズのカメラが頭をよぎると思うが、とても経済的とはいえない。ということで、マイクロフォーサーズ!
……なのかもしれないが、E-M1Xの価格はフルサイズ並だ。2019年の撮影当時は現在のようにお手頃価格ではないので、この線は薄いか。
(2)持ち運びがしやすい
カメラをよく知る結子だから、機動力の大切さを重視したかもしれない。しかも目的は遺影撮影。極端なボケは必要ないし、小さくて軽いマイクロフォーサーズだ!と。
しかし、選んだのがE-M1Xなので説得力皆無ですね。静的写真ならE-M5系統で十分だと思うし、プロっぽさを演出するならE-M1系でもいいし。
(3)オリンパスのカメラに消えてほしくないから
ひょっとして、結子はオリンパスの先行きを予知していたのでは?! 老い先短いご老人と、カメラ事業売却で消え去るかもしれないOM-Dらの姿とを重ねていたとしたら……。
「長生きしてね」という希望を込めて、オリンパスのカメラを手にしたのだろう。さすが聖母。この仮説採用。
カメラは良くてもカメラマンが良くない
カメラ選びには成功した結子だが、勝ち気で頑固な性格が仇となり、仕事では度々トラブルを起こす。この映画を観た人々をもっともイラ立たせたのは、モデルの柏葉さん(古谷一行)を現場に置き去りにして帰った事件だろう。
「嘘をつく」「家族を捨てる」という、結子が絶対に許せない行動を二つもしたせいなのだが、足の悪い老人を放って帰るとはどういう神経をしているのか?
饅頭屋で思い出写真を撮ったおじさんに対する態度もひどいものだった。確かにおじさんは記憶違いをしていたようだが、嘘をついたわけではない。なのに結子は納得がいかず、ずっと不機嫌そうにシャッターを切ってた。モデルさんが硬い表情をしているのに、声掛けなど一切なし。なんだこいつは。(しかし、作中ではそれも「良い写真」と評価されていて謎)。
オリンパスのカメラが映るたびに「おっ」となるのだが、遣い手であるカメラマンの度量が狭すぎてテンションが下がる。一郎が指摘したように、そりゃあメイクアップアーティストの仕事もうまくいかないはずだ。
とりあえず一郎に謝ってくれ
結子は初めてのお客さんになった和子(吉行和子)の助言は聞き入れるが、一番の恩人で、誰よりも気遣ってくれる一郎の声には耳を傾けない。
連れてきてもらった居酒屋の質にケチを付けるわ、泥酔した挙げ句にブチ切れて帰るわ、撮影の集客がうまくいかないことで一郎を責めるわで、「こぶーしを 握りしーめ ぼーくらは出会った♪」という『tough boy』の歌詞が浮かんでくる。
結子が一郎に対して素直になれないのは「初デートで嘘をつかれたから」なのだが、これ、結子の思い違いだったというオチ。「正しいのは絶対に自分」と譲らず、相手の意見を聞き入れようとしなかった結果、約10年間も無駄にイライラしていたわけだ。
結子を演じた深川麻衣さんは、芝居で苦労した点について、「いつも『私が、私が』と主張する結子の気持ちを理解するのが難しかった」などと語っていた。特に、前述した柏葉さんを置いてけぼりにするシーンは理解に苦しんだそう。
これを聞いて、『ウォーキング・デッド』シリーズでローリを演じたサラ・ウェイン・キャリーズさんが、「私、ローリみたいな女は嫌い」と発言していたのを思い出した。深川麻衣さんも似たような心境だったかもしれない。
結子に感情移入しにくい理由として、彼女が抱えているトラウマのインパクトが弱いせいもある。正義超人に転向後のウォーズマンの存在感くらい弱い。10代の多感な時期ならまだしも、「29歳の大人がそんなことでふてくされていたとは……」みたいな気分になってしまう。とにかく、何でもいいから一郎くんにきちんと謝罪しとくれ。
誰のために撮っているのか
結子はサービス業に従事する身として「お客さんに喜んでもらう」という気持ちが圧倒的に欠けていた。大切なのは自分の満足度。だからお世辞なんて言えないし、納得できないと顔が引きつってしまう。
しかし、それではダメだとようやく気付けた。人を幸せにする嘘もあるんだと。嘘がきっかけで頑張れる人もいるんだと(靴修理の爺さん)。
しかし、ラストの柏葉翁の件を美談にするのはモヤモヤする。老い先短いご老人に墓場まで反省しろとは言わないが、彼を肯定することで家族を捨てた過去が水に流される気がするからだ。ただ、なぜ柏葉爺さんが捨てた女房にこだわるのか、その理由がきちんと語られていないので何とも言えない。
いずれにしろ、結子は今度の件で、写真は真実を写さなくても機能することを学べてよかったと思う。盛りすぎたプロフィール写真も、山の紅葉写真をサイドマックスに加工するのも、人通りを蜜に仕立てあげる圧縮マンも、需要があるなら撮ればいいのだ。いや、ちょっと違うか。
ラストの「嘘つき」の意味は?
結子は今後もおもいでカメラマンをやるのだろうか。彼女はメイクもしてあげられるという、一般的な男性にはない掛け合わせの技能がある。無意味ともいえる頑固さを捨てたことで、コミュニケーションもうまくなるだろう。
問題はパイの数だ。作中でもすでに撮りきった感があるのに、なぜ一郎は自分もカメラを購入したのか。
「この街が好きだから東京行きを蹴った」と一郎は言う。それに対して結子は、「嘘つき」と笑う。
「この街で、これからもずっと、今度は恋人として君を支えたい」という一郎の本音を結子が理解したということだろう。
良かったな。彼は公務員だし、カメラマンの仕事がなくなっても安泰だぞ。
さいごに
結子が抱えている闇に特別感はなく、ストーリー自体にも特別な波はない。しかしその平凡さが、ロケ地となった射水市や氷見市(富山県)の風情とマッチしていて心地良かった。
余談だが、団地というのは撮影許可が下りにくいものらしく、富山県がロケ地に選ばれたのは「OKしてくれた団地が射水市だったから」らしい。
「見終わった後にテンションが上がるかもしれない」と思い、映画館には愛機のE-M5 markiiiを持っていった。
残念ながら感動は薄かったが、「大切な人にカメラを向けよう」「一枚一枚をていねいに撮ろう」という気持ちになれた。あと、結子を反面教師とし、もう一度『伝え方が9割』でも読んでおくかと思った。
というわけで、オリンパスのカメラと、深川麻衣が好きな方にはおすすめの映画です。