切捨御免はあり得なかった? 武士の特権が自由に使えないもっともな理由

時代劇でよく目にする、武士による切捨御免(斬捨御免)。
無礼を働いた町人を文字通り切って捨ててしまうのですが、先日お話を伺った近世史専門家のT教授によると、切捨御免は捏造されている部分がかなり多いというのです。続きを読む →

最強至高の軍艦・開陽丸を拝みに江差まで足を伸ばす 〜函館幕末巡りの旅4

幕末の日本、いや、アジアにおいて最強至高の軍艦だった開陽丸。当時のイギリスやアメリカ産のものと比べても引けを取りません。江戸幕府がオランダに製造を依頼し、同時に海軍強化を担う留学生まで派遣されたといいます。
そんな開陽丸でしたが、なんと戦闘前に嵐で沈んだのでした。

総裁の榎本武揚をはじめ、土方歳三や大鳥圭介ならびに幹部関係者は声をそろえ、

うそぉん

と唸ったに違いないでしょう。続きを読む →

「杉村義衛でしょ?」新選組二番組長・永倉新八居住地跡を散策 〜函館幕末巡りの旅3

松前城を後にし、新選組二番組長・永倉新八の居住地跡を見学しに辺りをうろつきます。

テーマパーク「松前藩屋敷」で欧米人くの一と遭遇した。

永倉新八は、新選組二番組長のほか「撃剣師範」を勤めていたほどの剣の達人で、あの沖田総司よりも強かったとさえ言われています。池田屋ではリタイアした沖田、藤堂らの分まで戦い獅子奮迅の活躍を見せました。本当に頼りになる人だったのでしょう、伊東甲子太郎は新選組を分裂する際、厚かましくも「永倉か斉藤をくれ」と近藤に頼んだそうです。

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テーマパーク「松前藩屋敷」で欧米人くの一と遭遇した。 〜函館幕末巡りの旅2

土方歳三丼で腹を満たし、函館から約2時間かけて松前へ。

【前回記事】
函館のすずや食堂で「土方歳三丼」を食べてきた。

まずは、土方歳三率いる旧幕府軍に落とされた松前城とその付近を散策。非常に良い雰囲気です。

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函館のすずや食堂で「土方歳三丼」を食べてきた。 〜函館幕末巡りの旅1

深夜、GWの行き先を決めるためインターネットをそぞろ歩いていると、「函館の一本気関門まで行きなさい」と頭の中で声がしました。一本気関門といえば、新選組副長・土方歳三最期の地碑があるところです。

これは勅命に違いない。

というわけで、GWは函館にて新選組ならびに旧幕府軍の跡地巡りをし、英霊たちの御霊と一体化することに決めました。

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2005 K-1Dynamite!!で敗北後の須藤元気選手「全ては必然」

大晦日の『FieLDS K-1 PREMIUM 2005 Dynamite!!』を観ました。

注目していたのは須藤元気VS山本“KID”徳郁。もちろん僕は須藤選手を応援。しかし、結果は不運なジャッジによる1R負け。

これは、以前レイ・セフォーが唱えた“見えないチカラ”が働いていませんか?

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