強さの最小単位とは、「我儘を押し通す力」です(範馬勇次郎・談)。親も、兄弟も、恋人も、友も、何人たりとも阻むことはできません。
己の意思を貫き通すためなら、友情なんて捨てちまえ。愛情なんてクソ食らえ。どこまでも我が道を行く男こそ、「男の中の男」と呼べるでしょう。
そんなわけで今日は、男の中の男術を磨くべく、動乱の幕末を駆け抜けたある武士を紹介したいと思います。
男の名は、伊東甲子太郎(いとう かしたろう)。名にし負う新選組の参謀を務めたお人です。
賢くて強くてイケメンだった伊東甲子太郎
伊東は天保六年(1835)、常陸志筑藩郷目付・鈴木専右衛門の長男として生まれました。本名は鈴木大蔵といいます。嘉永四年(1851)頃に水戸へ遊学。そこで神道無念流と勤王思想の水戸学を学び、メキメキと頭角を表します。
その後江戸に出た伊東は、江戸深川佐賀町で北辰一刀流道場を営む伊東誠一郎に見込まれ、同道場に入門。誠一郎の死後、その娘うめと結婚し、伊東姓を継いで剣術と攘夷の論争に明け暮れていました。
学問に秀で、剣の腕前は幕末の大流派を2つも修めるほど超一流。おまけに“名だたる美男”だったそうで、文句のつけようがありません。新選組入隊に際しては、いきなり副長と同格の参謀職ですから、局長の近藤勇がいかに彼を高く評価していたかが見て取れます。
賢く、強く、格好いい。男も女も惚れる本物の男・それが伊藤甲子太郎です。
妻・うめの女心を踏みにじる
本題に入ります。なぜ伊藤甲子太郎が男の中の男なのか?
彼は新選組入隊にあたり、江戸に妻のうめを残して上洛してきました。うめは聡明で美しく、どこまでも伊東を愛していたといいます。しかし、愛する夫は血の雨降り止まぬ京で国事に奔走中。しかも籍を置くのはあの新選組です。
会いたくても会えない
でも会いたい
夫の邪魔だけはしたくない
けど会いたい……。
そんな現状に耐えきれなくなったのか、彼女を抑制していた何かがプツンと切れ、うめはこんな偽報を流してしまいます。
「母様が大病です!」
さすがの伊東もこれには驚き、急いで江戸に帰省。しかし、すぐにそれが真っ赤な嘘であることがわかります。うめからすれば、愛する夫に会いたいがためについた、女心の切ない嘘。可愛いじゃないですか!
しかし伊東からすれば、国事の邪魔以外何者でもない、悪質で低級な裏切り行為ともとれるホラ。私ならそんな嘘をつかせるまで放置してしまった妻に詫びるところですが、伊東先生は違います。うめを激しく叱り、挙句の果てには
「お前なんぞどこえなりと立ち去れい!」
と、離縁を言い渡してしまいます。
鬼畜すぎ。
酷すぎますよね、惨すぎますよね。うめさん、悲しかったろうと思います。切なかったと思います。
覚悟の深さが男度を上げる
このエピソードで伊藤甲子太郎を責めてはいけません。彼にとって国事とは、命よりも重い大切なものだったわけですから。恋女房よりも、ずっとです。妻と離縁したのは、彼の並々ならぬ「覚悟の表れ」なのです。
雑念だらけの僕には到底真似られない、男の中の男の行動であると表彰したいくらいです。
ただ、周囲にこんな奴がいたら絶対に友達になりたくはありませんが。